常田研究室(理論化学)

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代表
 

常田貴夫(Takao Tsuneda)

山梨大学・燃料電池ナノ材料研究センター

住所・連絡先
山梨県甲府市宮前町6-43
E-mail: ttsuneda*yamanashi.ac.jp (*は@に置き換えてください)
居室:
燃料電池ナノ材料研究センター研究棟B2・2F

研究業績

常田研究室は、化学を網羅的に再現する究極の化学理論の開発を目標とし、化学のための密度汎関数法(DFT)の開発に取り組んできた。[「密度汎関数法の基礎」]

1. パラメータ最少の交換・相関汎関数と自己相互作用補正法の開発

従来の密度汎関数法の汎関数開発においては、物性値の再現性のみに主眼が置かれ、大量の経験的パラメータが使われていた。我々は、パラメータの存在が、汎関数の物理的な意味を失わせるのみならず、大規模分子計算において偽の安定構造を与える原因になると考え、パラメータを極限まで抑えた交換・相関汎関数を開発した。また、その際得られた知識をもとに電子の分類法を提案し、それをもとにした自己相互作用補正法を開発した。

  • 常田らはパラメータを1つに抑えた一変数(OP)相関汎関数を開発した。この汎関数は、電子間のスピン分極相関カスプ条件を満足する相関波動関数から、自然な物理近似のみを使って導出された。相関孔の形状を併用する交換汎関数で決定し、相関孔の大きさを1つのパラメータで決めた。求められたOP汎関数は、精密に電子相関を与えることが確かめられた。そして、驚いたことに、基本的物理条件を全く考慮していないにもかかわらず、もっとも物理条件を満足する相関汎関数であることが分かっている。[J. Chem. Phys., 110, 10664 - 10678, 1999; ibid. 111, 5656 - 5667, 1999]

  • また、常田らは、パラメータを一切使わずに、無変数(PF)交換汎関数を開発した。この汎関数は、Fermi運動量まわりでの密度行列展開から直接導かれた交換エネルギー表現であり、展開中心点であるFermi運動量を各空間点での運動エネルギー密度で決定することが最大の特徴である。OP相関汎関数同様、この交換汎関数も、ほとんどの基本的物理的条件を満足することが分かった。また、パラメータを含まないにもかかわらず、交換エネルギーの精密再現も確かめられた。 [Phys. Rev. B, 62, 15527 - 15531, 2000]

  • 上記の交換・相関汎関数にもとづき、常田らは運動・交換・相関エネルギーに対する基本的物理条件の間に存在する横断的な物理関係を明らかにした。また同時に、電子が自由電子的か自己相互作用しているか長距離相互作用しているかを分類する方法も提案した。[J. Chem. Phys., 114, 6505 - 6513, 2001;「密度汎関数法の基礎」]

  • 横断的物理関係が成り立たないのは、電子間の自己相互作用が支配的な場合である。その場合、自己相互作用密度行列を中心とする異なる関係性が存在する。常田らは、この関係性を利用し、領域的自己相互作用補正(RSIC)を開発した。補正法を用いた密度汎関数法による計算の結果、過小評価が報告されてきた一部反応障壁について、大幅な改善を確認した。[J. Comput. Chem., 24, 1592 - 1598, 2003]

  • RSICは1s軌道の自己相互作用で置換したが、適用性に著しく欠けていた。この問題を解決するため、 常田、中田らは2s以上の軌道の自己相互作用で置換する修正(m)RSIC、およびHartree-Fock交換自己相互作用で置換する擬スペクトル(PS)RSICを開発した。PSRSICはのちにLC-DFTに適用され、内殻電子の軌道エネルギー・イオン化ポテンシャル・励起エネルギーをすべて劇的に改善することに成功している。[J. Comput. Chem., 30, 2583 - 2593, 2009J. Phys. Chem. A, 114, 8521 - 8528, 2010]

2. 長距離補正と大規模分子計算のための理論の開発

生体物質のような大規模系の化学を精密に再現することは究極の化学理論に必須である。しかし、密度汎関数法は、数十原子レベルの化学もまったく再現できないという問題が長年指摘されていた。常田らは、長距離補正を中心とした方法を開発し、主要な問題の多くを解決に導いた。

3. 長距離補正時間依存DFTにもとづく大規模分子の励起状態計算理論の開発

長距離補正の解決した問題のうち最もインパクトがあったのはTDDFTによる電荷移動励起エネルギー過小評価の問題である。電荷移動はほとんどの主要な大規模系の光化学反応において先駆的に起こるため、電荷移動を精密に再現できない理論は大規模系の光化学反応を取り扱えない。長距離補正はこの問題を完全に解決した。

  • 時間依存DFTTDDFT)は、分子から大規模系までの励起エネルギー高速かつ簡便な計算法として、現在広く利用されている。しかし、従来のTDDFTには電子移動励起、Rydberg励起、そして振動子強度を大きく過小評価するという重大な問題があった。常田、多和田らは、これらの問題も長距離交換の不足に起因していると考え、長距離補正にもとづくTDDFT (LC-TDDFT) を開発した。その結果、TDDFTによるすべての過小評価が劇的に改善することを確認した。 [J. Chem. Phys. 120, 8425 - 8433, 2004]

  • 大規模分子の光化学反応の多くは長距離電荷移動を先駆とする。TDDFTは大規模分子の励起状態計算法として期待されているが、長距離電荷移動を取り扱えなかった。常田、千葉らは、この問題に取り組むため、LC-TDDFTにもとづく励起状態分子動力学計算法を開発した。最初の試みとして、励起状態構造と断熱励起エネルギーの計算を行なった結果、小分子の励起状態構造計算においてすら、長距離補正は必須であることが分かった。これにより、大規模系の励起状態分子動力学シミュレーションも可能になった。[J. Chem. Phys., 123, 144106(1-11), 2006]

  • 相対論的なスピン・軌道相互作用が励起スペクトルや励起状態反応に与える影響を調べるため、LC-TDDFT2成分スピン・軌道相対論を導入した相対論的スピン・軌道LC-TDDFTを開発した。スピン・軌道遷移では電子分布の大きく異なる軌道間の遷移が重要であるため、長距離補正はきわめて重要である。計算の結果、第6周期より重い原子では長距離補正がスピン・軌道相互作用に与える影響が大きいこと、軌道のスピノル化が比較的軽い原子でも重要なことが確認された。[J. Chem. Phys. 135, 224106(1-9), 2011;日本コンピュータ化学会誌:特集号「相対論的量子化学とその周辺」]

  • 大規模系計算に向け、TDDFT計算効率化アルゴリズムとして、常田、柳澤、千葉らは状態選択TDDFTアルゴリズムを開発した。このアルゴリズムは、摂動選択により注目する励起に寄与する遷移のみをピックアップすることによって計算時間を劇的に減らす。このアルゴリズムを使えば、DFT計算が線形スケーリング化されれば、TDDFT計算も線形スケーリング化することができる。常田、徳良らによりこのアルゴリズムはLC-TDDFT計算にも適用され、電子移動計算の高速化に成功している。[J. Theor. Comp. Chem. (APCTCC Special Issue), 4, 265 - 280, 2005;Chem. Phys. Lett., 420, 391 - 396, 2006;J. Comput. Chem., 29, 1187 - 1197, 2008]

4.  長距離補正DFTによる占有・非占有軌道エネルギー精密再現とそれにもとづく解析法

長距離補正の解決した問題のうち最大の驚きは歴史上初の占有・非占有軌道エネルギーの同時精密再現である。量子化学では長年、軌道エネルギーは再現できない量であり、それ自体意味がないとされてきた。最近になり、きわめて高精度な交換・相関ポテンシャルが開発され、価電子占有軌道エネルギーの精密再現が実現した。しかし、そのポテンシャルを使った非占有軌道エネルギーは符号すら異なる値を算出する。驚くべきことに、長距離補正はこの問題を解決した。

  • 最近まで軌道エネルギーを定量的に再現できる理論は全く存在していなかった。驚くべきことに,Kohn-Sham法を長距離補正すると、占有・非占有の価電子軌道エネルギーを同時に精密再現できることが明らかになった。常田らは、交換積分核(汎関数の電子密度に関する2次導関数)を介した自己相互作用の誤差が長距離補正すると劇的に減ることが原因であることを明らかにした。LC-DFTは絶縁体のバンドギャップを軌道エネルギーギャップによって定量的に与えられる唯一の理論としても受け入れられている。[J. Chem. Phys., 133, 174101(1-9), 2010]

  • LC-DFTは価電子軌道エネルギーをきわめて高精度に与える一方で,内殻軌道エネルギーを過小評価する問題があった。水素・希ガス原子のHOMOエネルギーも同様に過小評価される。常田らは、PSRSICをLC-DFTに適用したLC-PR汎関数を開発し、価電子軌道エネルギーを維持または改善しながら内殻軌道エネルギーや水素・希ガス原子のHOMOエネルギーを劇的に改善することに成功した。 [J. Chem. Phys. 139, 064102(1-10), 2013]

  • LC-DFTで計算したHOMO-LUMOギャップは,多くの反応の初期段階では変化しない。これは電子移動で進行するからである。LC-DFTによるDiels-Alder反応計算の結果,順反応はほとんどの場合,初期過程でHOMO-LUMOギャップをほとんど変化させないことが分かった。このことを利用すれば,軌道エネルギーにもとづいて反応を解析できる。常田らは現在、この考えにもとづき、軌道エネルギーにもとづく反応解析法を開発している。 [J. Comput. Chem., 34, 379-386, 2013]

5. 開発した理論によるさまざまな応用計算

本研究室では、上記の開発した理論を使って多種多様な応用計算を行なってきた。特に光化学反応については、LC-TDDFTを半導体結晶や分子集合体の光化学反応に適用し,その機能発現の機構を明らかにしてきた。たとえば,酸化チタン光触媒反応は吸着分子から酸化チタン結晶への直接電子移動励起で開始すること,TTF-CA結晶の光誘起相転移ではTTFとCA間の滑り振動が重要であること,および100%量子収率で知られる紅色細菌反応中心の光合成の初期過程では全く速さの異なる電子移動機構を使った多段階過程で電子移動の速さを調整していることなど,大規模系の光化学反応の機構を解明してきた。DMABNのねじれ電荷移動による二重発光について、発光源が両方ともCT励起からの脱励起であることもはじめて示した。化学反応についても膨大な計算を行なってきた。主な系としては、アルカンのイソデスミック反応さまざまな分子の縮合反応さまざまな分子の異性化反応さまざまなDiels-Alder反応のエンタルピーや反応障壁をLC-DFTやLC+vdW法で計算し、高精度再現することを確かめた。さらに、現在所属のセンターにおいて、実験研究者と共同で燃料電池におけるプロトン交換膜のプロトン伝導や白金表面上の酸素還元反応に関する研究を進めている。プロトン交換膜については、低湿下でのNafionのプロトン伝導の機構としてリレー機構(スルホン酸基の鎖がリレーする機構)の提案に成功している。

6. 開発した理論の汎用量子化学計算プログラムへの導入

本研究室で開発した理論はさまざまな量子化学計算プログラムに導入されている。最もよく利用される量子化学計算プログラムであるGaussian09の公式版では、さまざまな長距離補正汎関数が標準で利用できる(たとえばLC-BLYPなど)。GAMESSの公式版の密度汎関数法計算プログラムは常田、神谷、千葉らの開発したプログラムがベースとなっており、長距離補正汎関数、長距離補正TDDFT、OP相関汎関数などが導入されている。他にも、NWChemQ-ChemAmsterdam Density Functional (ADF)13など主要な量子化学計算プログラムの公式版で長距離補正汎関数が利用できる。また、固体など周期系計算プログラムのDmol3の公式版においてOP相関汎関数が利用できる。

7. 産学連携に関する取り組み

常田らはこれまで、様々な企業の研究所との産学連携により、実用上重要な応用化学計算およびそのアドバイスを行なってきた。主要なものでは、1996-1997年に、トヨタ・コンポン研との連携により、メタノールから低公害燃料の短鎖ガソリンを生成するMTGプロセスの新しい反応機構(メタン-ホルムアルデヒド機構)の提案に至った。また、2001-2003年には、新日鐵との連携により、鉄表面での有機分子の吸着性の官能基による違いを明らかにした。さらに、2004年から2010年まで日立化成と、2013年からサムスン横浜とそれぞれ、アドバイザーとして連携している。また、企業関係者向けのDFT講習会も何度か開いてきた。[J. Am. Chem. Soc., 120, 8222 - 8229, 1998.; J. Mol. Struct. (Theochem), 716, 45 - 60, 2005]

8. 学際連携に関する取り組み

常田は現在、レア・イベント理論科学研究会を発足し、代表者として理論科学の学際連携を進めている。この研究会は、分子科学・物性科学・生体物質科学・マルチスケール科学・光量子科学の理論科学分野が連携し、レア・イベントを解明することを目的としている。レア・イベントとは、少ないチャンスで起こる分子構造が劇的に変わる現象を総じた名称であり、化学分野における化学結合の組み換え、生物分野におけるタンパク質フォールディング、材料分野における結晶構造相転移や凝集相中の原子・分子拡散、超高速物理分野におけるレーザー制御電子ダイナミクスなど、きわめて広い分野に横断的にまたがる課題である。計算科学分野の優秀な若手研究者が横断的に連携してこの課題に取り組み、新しい研究領域を開く試みを推進すべく準備を進めている。

常田はまた、これまでに数多くの理論や実験の研究者と共同研究してきた。理研の田原研(実験)との共同研究で、スチルベンの異性化反応の解明に成功した。阪大基礎工の中野研(理論)との共同研究で、LC-DFTによるジラジカル系の2次超分極率の高精度再現を明らかにした。埼玉大理工の高柳研(理論)との共同研究で、ニトロメタン水和物アニオンクラスタの電子脱離をLC-DFTにより再現した。横浜市大国際総合の立川研(理論)との共同研究で、核電子相関汎関数の開発に成功した。名大高等院のIrle研(理論)との共同研究で、フェニルアセチレン二量体の計算を行なった。物材機構の中田博士(理論)との共同研究で、価電子・内殻軌道エネルギーを一括高精度再現できる理論の開発に成功した。さらに、現在所属のセンターにおいて、実験研究者と共同で燃料電池におけるプロトン交換膜のプロトン伝導や白金表面上の酸素還元反応に関する研究を進めている。他にも、非断熱相互作用、素粒子・電子相関、多配置DFT、金属錯体のスピン・軌道遷移などに関して、数名の研究者と共同研究を進めている。


研究著作
査読つき論文
査読つきレビュー

著作
常田著「密度汎関数法の基礎」(講談社)
T. Tsuneda,「Density Functional Theory in Quantum Chemistry」(Springer、2014)

講義資料(京都大学理学部特別講義・2012年11月6-7日)
密度汎関数法関連書籍